1961年から営業しておりました洋品店が
廃業........。
両親が共働きだった小学生当時の私の奥さんは、放課後に
誰もいない家に帰るのが寂しくて
小学生の時から通っていたお店だったんです。
そんな我が奥さんは営業最終日にしこまた
洋服を買い込んでおりました。
(60、70年代とかの子供服やレディース服)
っで、自宅に帰り、埃まみれの洋服を洗いながら
ポロポロ泣いてるんですよ。
どしたん?
『子供の時の記憶がフラッシュバックして、
懐かしい思いが込み上げてきて』
そして僕にもその想いは伝染し、
胸が熱くなった。
年を取ると涙もろくなってアカンですね。
自分用に買った物とは別に
面白いブツも買えましたのでおセンチな気持ちを込めて
紹介させて下さい。
まさかの旧漢字!
京都市伏見区に現在も存在する学生服の
卸などを手掛ける会社。
不良品だったとしても取り替えに行ってはダメですよ。
1963年創業、
和製ジーンズの始祖!!!!!
大石貿易が立ち上げたキャントン。
当時、服は母さんが夜鍋して作ってくれた物が主流だったのが
1961年に繊維の輸入自由化が始まり、
安価な既製服が日本にも生まれたのだ。
この流れで
『ジーンズも日本で作って売れば儲かるんじゃね!?』
という野心あるビジネスマンが現れます。
その男は、
アメリカのジーンズや古着を輸入販売していた
大石貿易創業者、大石哲夫さん。
当時の日本ではインディゴ染めを施したデニム生地を
作るのは難しく、アメリカに渡り
大手生地メーカー、キャントンミルズ社と契約。
巻き縫いミシンなどのデニム縫製に必要な
特殊ミシンもアメリカで買い付けたそうです。
こうしてアメリカの生地を使い日本で縫製された
キャントンジーンズは生まれた。
当初、小規模の協力工場で作っていたものの、需要に追いつかなくなり
大石貿易は厚手の生地を縫製出来る工場を探していた。
現在デニム縫製の聖地として知られる岡山の児島で
尾崎小太郎氏が営む『マルオ被服』に行き着いた。
元々厚手の学生服の縫製を得意とするマルオ被服では
特殊ミシンさえ増設すればジーンズの縫製が出来る
ノウハウと設備があったらしい。
売れに売れていくキャントンを縫製する中で
マルオ被服の創業者、
尾崎小太郎は自社ブランド
『ビッグジョン』を立ち上げます。
小太郎......リトルジョン
なんかパッとせんな。
ビッグジョンや!
ってな感じだったんでしょうか。
ちなみに
小太郎氏の弟は同時期にボブソンを立ち上げる。
大石貿易率いるキャントンはブランドスタートから
5年経った1968年に
生地の仕入れ先『キャントンミルズ社』から訴訟を起こされます。
『な〜にウチの社名を勝手に使っとるんじゃ!』
っで、キャントン改めビッグストーンに社名が変わりましたww
どんだけー
社名が変わってもビッグストーンのジーンズ人気は相当だったようで
東北に自社工場をいくつも設け
日産5000本のジーンズがどんどん売れていたそうですが.......
1975年のオイルショックを期に
経営が悪化しビッグストーンは倒産しました。
しかし、東北のかつての自社工場は
リーバイスの指定工場になったり、
ラングラーの指定工場になったりと今も操業しているらしい。
あまり語られることの無い日本のジーンズ史ですが
総意工夫によって激動の時代を
生きた先人達がいたから
『世界トップクラスと称されるジャパンデニム』
が生まれたのではないでしょうか。