本日のブログは、とある兄弟の物語。
時は1898年、ドイツの靴職人、クリストフダスラーに
息子が生まれた。
彼の名はアドルフ・ダスラー。
その2年後、1900年に弟のアドルフ・ダスラーが生まれた。
幼い頃から父親の靴作りを観て育った兄弟は、
体を動かすことが好きだったそうです。
その後、第一次世界大戦が勃発し、ドイツは敗戦国になった。
ダスラー家は家業として洗濯屋さんも営んでいたが、
敗戦による不況で洗濯業は廃業に...........。
そこで弟のアドルフは実家の洗濯作業場を
靴の製造工場に改造。
自身みずからスポーツシューズの製造を始めた。
後に兄のルドルフが参加し
ダスラー兄弟商店が創業された。
寡黙に靴作りに励む弟アドルフ。
情熱と話術に優れ、販売能力の高い兄のルドルフ。
この二人のコンビネーションは最強だったそう。
さらにアドルフ・ヒットラー率いるナチスは
敗戦で弱りきったドイツを立て直す為に
スポーツに力を入れた。
1936年のベルリンオリンピックでは
ダスラー兄弟のシューズを履いた選手が
金メダルを獲得し、それが大きな宣伝効果になり売上げは右肩上がりに。
(手塚治虫の名作"アドルフに告ぐ"の冒頭シーン)
だがしかし、第二次世界大戦勃発により
兄弟の仲は険悪になる。
原因は諸説あるようですが
弟のアドルフが兄を事業から撤退させる為
兄をドイツ軍に入隊させる手配をしたとか.......
このような話は双方の言い分があるでしょうし、
今となっては闇の中ですが.....
1948年に兄弟仲は完全に分断され
兄、ルドルフはプーマを
弟、アドルフはアディダスを立ち上げる。
そしてこの兄弟は死ぬまで
対立し続け
同じ地元の墓地の端と端に埋葬されました。
誰もが知る2大スポーツブランドは
壮絶な兄弟喧嘩によって誕生したのであります。
長いブログをここまで読んでいただき有難うございます。
まだ続きがあるんです。
先日実家のオカンが僕の家に来てて、
無造作に置かれていたジャージ(僕の嫁さんの私物)を手に取ったんです。
オカン『いーわねぇ、このジャージ。』
僕『ああ、それな。アディダスの西ドイツ製のやつやわ。』
この流れでアディダス、プーマの兄弟喧嘩の話をしたら、
凄く興奮して.......
オカン『私も西ドイツ製のジャージ......欲しいわ。
どうしても欲しいわ、母の日にプレゼントして!』
僕『ええ〜、そんなややこしい物欲しがられても』
嫁ちゃんにその話をすると.........
嫁『しょーちゃん(僕のことね)もややこしい物ばっか欲しがってるじゃん!
やっぱ親子なんだね。』
そう言われるとグウの音も出ねぇ。
なんとか当時物が入手出来、オカンに渡すことが出来ました。
オカン『い〜わねぇこれ、サイズもジャストだわ』
完